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自己分析②

高校を卒業した私は、予備校に行かせてもらいました。高校時代のセンター試験の得点は、800満点で386点でした。今、考えれば、大学に行く資格がなくても当たり前な学力なのに、両親は予備校に行かせてくれました。ほんとに有り難かったです。高校時代は暗黒の時代だったので、勉強もほとんどしてなくて、部活も中途半端だったし、いいとこは何にもなかったんです。でも、両親は私の事を見捨てずに、力になってくれました。暗黒の高校時代だったんですが、夢だけは一人前に持っていました。人を助ける仕事がしたいと思っていて、医師に成りたいなぁなんて漠然と思っていました。思っているだけで、勉強という行動を起こさなかったんですが・・・。予備校に行っても、基礎学力がない私は、そんなに成績も上がるはずもなく、一年はあっという間に過ぎていきました。勉強の時間は、確保していましたが、質が良くなかったと思います。予備校のテキストの予習と復習に精一杯で、志望校もはっきりと決めていなかったので、何のために勉強していたのか、今思えば、ほんとに何も考えていない人間だなぁと改めて痛感します。もちろん医学部なんか受けられる学力ではないし、地元の大学にでも行って、公務員でもなろうかなぁなんて、秋くらいから考え始めました。結局、予備校に行ったのに、受験から逃げてしまったんですね。12月になると志望校の選定に入ります。最終的にどこの大学を受験するかは、センター試験の結果で決めますが、国立理系のクラスに在籍していたので、第一志望は地元の宮崎大学農学部にしました。予備校の方針で私立大学も1校以上受験しないといけなかったので、数学の科目が少なかった、福岡県にある大学の薬学部を受けることにしました。なんでその大学を選んだのか、今でも不思議に思います。

そして、センター試験を受験しました。得点は、800満点中570点で、7割超えました。当時の自分としてはやっと終わったという安堵感でいっぱいだったことを覚えています。センター試験が終わって、1年間勉強した結果、前年よりは点数が上がっていたので、まあまあ満足していたように思います。予備校の判定でも、宮崎大学農学部はA判定だったので、マークミスさえなければ、合格だなと思っていました。

センター試験のあと、安心したのか、風邪をこじらせてしまい、1週間ほど寝込んでしまいました。2月中旬にあった私立大学の受験は、センター試験の結果がわりと良かったので、とてもリラックスして受けることができました。正直手ごたえはありませんでした。私は、北九州市で予備校生をしていたので、福岡市に受験に行くのに生まれて初めて新幹線に乗ったことに興奮した記憶があります。2月下旬に国立二次試験があり、手ごたえもあったので、私は宮崎大学で学生生活を送るもんだと思っていました。

ところが、福岡の私立大学の受験結果が届き、なんと合格していたんです。これには私自身もビックリしました。こんなこともあるんだなぁ、人生何が起こるかわからないなぁなんて思いながら、両親に電話で連絡しました。(今は、メールなんてものがありますが、1995年当時は、公衆電話やポケベルで連絡を取っていたものです。)両親には感謝しても感謝しきれないですが、免許の取れる薬学部に行かせてもらうこになりました。何気なく受験した大学に合格して、そこに行くことになるなんて、お金もかかるのに有り難かったし、ご先祖様たちが導いてくれたのかなぁなんて不思議な気持ちになったことを覚えています。

 

人生って不思議ですね。

 

それではまた・・・。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。