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僕の薬局で居宅療養管理指導が始まりました。

今日から、居宅療養管理指導が始まりました。介護支援専門員(ケアマネ)の方と、介護用の手すりをレンタルしている会社の方と、利用者さん(男性)と奥さんと私の5人で、利用者さん宅で会議を行いました。まず、ケアマネさんから8月までのケアプランの説明と利用者さんにケアプランについての意見を聞いて、ちょっとした会話があり、ここまで15分程度かかりました。それから、私が説明に入りました。薬剤師が加わることで何ができるのか、費用はどれほどかかるのかなど、10分くらいは話したと思います。そして、契約書と説明書にそれぞれ署名をいただいて、終了しました。私が署名をは、いただいている間、ケアマネさんも手すりのレンタル会社さんも、利用者さんから署名をいただかなくてはならず、利用者さんは大変そうでした。

私は、在宅の会議に初めて出席させていただきました。会議が終わった感想は、利用者さんは疲れるだろうなぁというものでした。医療や介護関係者の不正なども新聞やテレビで報道されるので、契約に関しては、かなり厳しくやっていかないといけないと思う反面、実際に経験してみると、もっと簡素化して利用者さんの負担を軽減したほうがいいように思いましたが、国の税金を使用しているので、契約に関しては厳しいのは仕方ないかなぁと自分の中で結論付けました。

ところで、薬剤師が在宅に介入することのメリットは、薬を服用しやすい環境づくりの提案ができることだと思います。お薬カレンダーを提案したり、複数の病院を受診している場合は、一つにまとめることもできるし、場合によっては同じ作用の薬が複数処方されている場合もあるので、薬の中止を提案することもあります。薬の飲み合わせをチェックするだけではなく、薬の副作用にも気をつけますし、薬に関しての相談も随時受け付けます。ただ、1回の訪問で503単位(5030円)という高額な金額を頂きます。利用者さんがより良い日常生活を送れるように、薬を通して、サポートしていければいいなぁと思います。薬剤師がもっともっと介護の現場で活躍できれば、いいなぁと思います。今はコンビニが食材を配達する時代です。薬局の薬剤師ももっともっと薬局の外に出ていって、活躍していかないといけないなぁと思います。

 

それではまた・・・

 

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

自己分析③

大学時代は、勉強もろくにせず、遊んでもいないし、だらだらと家で過ごしたり友達の家でマンが見たり、もったいない学生生活を送ってしまいました。無気力な学生でした。特に希望した大学でもなかったし、自分自身やりたいことが明確にあったわけでもないので、中途半端な学生生活だったなぁと恥ずかしくなります。

明確な目的なり目標を持って、人生に張りを持って生きていかないと、もったいない人生を送ってしまいます。自分がどういう人生を送りたいのか、明確にしないと限りある命の無駄遣いだなぁと思います。

留年の危機、卒業の危機もありましたが、無事ストレートで卒業できました。また。薬剤師の国家試験も、ほんとギリギリで合格できました。これは奇跡といっていいと思います。私が受験した年は、試験の難易度が高く、240点満点で、140点くらいがボーダーだと言われていました。私は148点だったので、例年なら間違いなく不合格です。何とか合格し、地元宮崎発祥のドラッグストア(ディスカウントドラッグコスモ〇)に勤務することになりました。1999年4月入社ですが、その当時はコスモ〇薬品という社名でした。

私の社会人としての基礎をたくさん教えてもらいました。仕事というものを一から教えてもらいました。11年間勤めましたが、とても勉強になりました。

結婚を機に退職し、調剤薬局に勤めることになりました。ドラッグストからの転職だったので、働き方が全く違ったので最初戸惑いました。狭い部屋で、一日過ごすと息が詰まりそうでした慣れるまでは、半年くらいかかったように思います。

転職したころから、自分の人生について考え始めました。遅すぎですよね。この当時34歳です。あほだなぁと思います。ほんとに自分がやりたいこと、なりたい自分というもがなんなのか、思考錯誤の日々の始まりです。

その当時から、7年が過ぎ、現在41歳です。まだまだ、模索中ですが、どんな人生を送っていきたいかが、ぼんやりと見え始めてきています。この年になっても、まだぼんやりとです。なかなかスムーズに進みませんが、これと決めたら、突き進んで行けそうな気がします。

このブログを書きながら、自分の人振り返ってみることができました。

限りある命です。無駄な時間は1秒も残されていません。やりたいことをやって、楽しい人生を送っていきたいですよね。これから、どんな人生を送ることになるのか、ここに書き記していこうと思います。

 

ではまた・・・

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

自己分析②

高校を卒業した私は、予備校に行かせてもらいました。高校時代のセンター試験の得点は、800満点で386点でした。今、考えれば、大学に行く資格がなくても当たり前な学力なのに、両親は予備校に行かせてくれました。ほんとに有り難かったです。高校時代は暗黒の時代だったので、勉強もほとんどしてなくて、部活も中途半端だったし、いいとこは何にもなかったんです。でも、両親は私の事を見捨てずに、力になってくれました。暗黒の高校時代だったんですが、夢だけは一人前に持っていました。人を助ける仕事がしたいと思っていて、医師に成りたいなぁなんて漠然と思っていました。思っているだけで、勉強という行動を起こさなかったんですが・・・。予備校に行っても、基礎学力がない私は、そんなに成績も上がるはずもなく、一年はあっという間に過ぎていきました。勉強の時間は、確保していましたが、質が良くなかったと思います。予備校のテキストの予習と復習に精一杯で、志望校もはっきりと決めていなかったので、何のために勉強していたのか、今思えば、ほんとに何も考えていない人間だなぁと改めて痛感します。もちろん医学部なんか受けられる学力ではないし、地元の大学にでも行って、公務員でもなろうかなぁなんて、秋くらいから考え始めました。結局、予備校に行ったのに、受験から逃げてしまったんですね。12月になると志望校の選定に入ります。最終的にどこの大学を受験するかは、センター試験の結果で決めますが、国立理系のクラスに在籍していたので、第一志望は地元の宮崎大学農学部にしました。予備校の方針で私立大学も1校以上受験しないといけなかったので、数学の科目が少なかった、福岡県にある大学の薬学部を受けることにしました。なんでその大学を選んだのか、今でも不思議に思います。

そして、センター試験を受験しました。得点は、800満点中570点で、7割超えました。当時の自分としてはやっと終わったという安堵感でいっぱいだったことを覚えています。センター試験が終わって、1年間勉強した結果、前年よりは点数が上がっていたので、まあまあ満足していたように思います。予備校の判定でも、宮崎大学農学部はA判定だったので、マークミスさえなければ、合格だなと思っていました。

センター試験のあと、安心したのか、風邪をこじらせてしまい、1週間ほど寝込んでしまいました。2月中旬にあった私立大学の受験は、センター試験の結果がわりと良かったので、とてもリラックスして受けることができました。正直手ごたえはありませんでした。私は、北九州市で予備校生をしていたので、福岡市に受験に行くのに生まれて初めて新幹線に乗ったことに興奮した記憶があります。2月下旬に国立二次試験があり、手ごたえもあったので、私は宮崎大学で学生生活を送るもんだと思っていました。

ところが、福岡の私立大学の受験結果が届き、なんと合格していたんです。これには私自身もビックリしました。こんなこともあるんだなぁ、人生何が起こるかわからないなぁなんて思いながら、両親に電話で連絡しました。(今は、メールなんてものがありますが、1995年当時は、公衆電話やポケベルで連絡を取っていたものです。)両親には感謝しても感謝しきれないですが、免許の取れる薬学部に行かせてもらうこになりました。何気なく受験した大学に合格して、そこに行くことになるなんて、お金もかかるのに有り難かったし、ご先祖様たちが導いてくれたのかなぁなんて不思議な気持ちになったことを覚えています。

 

人生って不思議ですね。

 

それではまた・・・。

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

自己分析①

こんばんは。

今日は、自分がどういう人間であるのか、自己分析してみたいと思います。

私は現在、薬剤師として働いています。結婚して、子供もいます。

仕事もわりと楽しくやってますし、子供と関わる時間はとても楽しいものです。

しかし、心の中では、今の現実に全く満足していない自分が、どんどん大きくなっています。時間的な余裕も欲しいし、金銭的にも、もっと余裕が欲しいと思っています。おそらく、誰しもが思っていることだと思いますが、現実問題、何をどうしたら問題を解決できるのかわからないので、余計に心がざわついてしまいます。

私は、1976年1月生まれの41歳です。小学生の頃から、他人とのコミュニケーションが上手く取れないことに、コンプレックスを抱いていました。自分の想いをうまく言葉にできないんですね。なので、おとなしく内気な子供でした。今でも、自分の想いを正直に口に出すのは、抵抗があります。他人の顔色ばっかりうかがってしまいます。こんな生き方は嫌だなぁといつも思っているんですが、どうしても勇気が出ないんですね。自分の意見よりも他人の意見を尊重しすぎてしまうので、心が疲れてしまいます。

中学生になると、余計に口を閉ざしてしまいました。思春期というか反抗期というか、両親には心配をかけたなぁと思います。というのも、自分から口を開くことがほとんどなかったので、何を考えているかわからなかったと思います。部活はソフトテニスをやっていました。その当時は軟式テニスと言ってました。部活は一生懸命取り組んだと思います。しかし、ただやみくもに与えられた練習をこなしていただけで、考えてやっていなかったので、もっともっと考えてやっておけば良かったなぁと後悔しています。

高校時代は、暗黒の真っ黒な時代です。進学校に行ったのに勉強についていけなくなって、部活も中途半端だったし、何をやってもうまくいかなかったし、自分を押し殺して生きていたような感じでした。

 

ここまでの人生を振り返ってみて、自分に足りないものは

①自分の意見を素直に口に出すこと

②何事も考えて行動すること

③生きるからには楽しく生きること

 

こんな私も、もう41歳です。人生の折り返しを過ぎてしまいました。もっともっと積極的に楽しく生きていきたいと思いました。

それではまた・・・

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。

 

 

なりたい自分へ

初めまして。

私は41歳。嫁さんと6歳と3歳の息子の4人家族です。宮崎県に住んでいます。

薬局の薬剤師として働いています。仕事も大事ですが、子供との時間を大切にしていきたいと強く思っています。

 

ここ数年、医療事故や介護施設での事件など、医療や介護にまつわる事件・事故が多くなってきています。人の命にかかわる仕事なので、注目もされるし、国民の関心も高いのでミは許されません。国家財政も厳しくなっている中、病院や薬局、介護施設などの経営も厳しくなってきています。働く人間も資格だけでなく、人格というか人間性というか、そういうものもますます必要になってきています。今の仕事にやりがいも感じていますし、不満もそんなにないんですが、将来に対しての漠然とした不安が、日に日に自分の中で大きくなってきています。10年後仕事はあるのだろうか、収入は確保できるのだろうか、子供たちをきちんと育てていけるのだろうか・・・

 

今、薬局は「かかりつけ薬剤師」といって、患者さんが受診している全ての病院でもらう処方箋を一つの薬局に持ってきてくれて、なおかつ、そこに勤めている薬剤師に薬の管理や健康管理を任せてくれると、書面で契約を交わすことで、患者さんの生活の質を上げることに貢献できる制度に積極的に取り組んでいます。しかし、このような制度があることを知っている人も少ないし、これは薬剤師が生き残っていくために、しっかり取り組んで行かなきゃいけないし、患者さんにもメリットのある制度だと思うので、薬剤師が積極的にアピールしていかなきゃいけないと思います。しかし、この制度を成功させるためには、在宅業務を行っている医師の協力が必要なんです。在宅業務とは、医師が患者さん宅に出向いて、診察などの医療行為をすることです。しかし、日常の診察で多忙な医師の方々は、行きたくてもなかなか在宅業務に行けないのが実情です。国が考える医療の理想の形と現実とのギャップがかけ離れているんじゃないかなぁなんて思ったりもします。介護の仕事についてはあまりよくわかりませんが、病院や薬局以上にマンパワーが不足していて、みんな疲弊していると聞きます。これからの医療や介護の現場はどうなっていくのか、とても心配になります。

 

仕事は、こんな感じで、いろんな思いを抱えながら何とかやっていけています。しかし、自分の時間がどんどん削られていきます。研修会も頻繁に行われますし、薬剤師だけではなく、医師や看護師、ケアマネージャーなどいろんな職種の方々との会合も年々増加しています。仕事の時間が増えると、子供との時間が取れなくなって、何のために働いているのかわからなくなってきています。

 

こんな現状を何とかしたい・・・時間の余裕が欲しい・・・

こんな願望だけを持っていても、現実が変わるはずもなく、なんだかんだで行動あるのみだと思い、まずは自分の想いをブログに書いていこうと思い、書き始めました。

 

時間的な余裕を生み出すためには、今の仕事に変わって、生活するためのお金を生み出す必要があるわけで、世間ではいろんな「副業」に関わる情報があふれている中で、私なりに、いろいろやっていきたいと思います。

 

このブログを書き始めるまでも、いろんなことが自分の中で起こってきたので、少しずつ書いて行きたいと思います。

では、また次回・・・

最後まで読んでいただき、ありがとうございます。